【連載コラム】寺坂直毅の小田急百貨店ジャーニー

  • 【連載コラム】デパート愛好家・放送作家 寺坂直毅の小田急百貨店ジャーニー
6月1日に創業61周年を迎え、この秋には本館からハルクへお引っ越しをする小田急百貨店新宿店。大きな変化のなか、今回は数々の人気番組を手がけ、デパート愛好家でもある放送作家 寺坂直毅さんの小田急百貨店コラム全15回を連載。
小田急百貨店の意外な発見や懐かしいエピソードが満載ですよ。
寺坂直毅 (てらさか・なおき)
放送作家。1980年。宮崎生まれ。
「星野源のオールナイトニッポン」「松任谷由実のオールナイトニッポンGOLD」(ニッポン放送)、「うたコン」(NHK総合)などの構成を担当。
デパートの知識も豊富で、著書に「胸騒ぎのデパート」(東京書籍)がある。
寺坂直毅氏

第2回
私と小田急百貨店

2022年6月1日(水)
私が小田急百貨店に初めて訪れたのは、中学2年生の時でした。
デパートが3軒ほどしかない宮崎の街で育ち、「大きな東京のデパートをはしごしたい!」と、夏休みに2週間かけて、東京デパート巡りをする事になりました。
初めての新宿。お祭りのような人の波に揉まれながら初めて訪れた小田急百貨店。
賑わいに興奮するとともに、最初に抱いた感想は「エレベーター、凄ぇ!」。
コンコースに並ぶ5台のエレベーター。大きな声で「こちらのエレベーターは上に参ります!」と誘導する、制服を着た女性達。
エレベーターガールの制服といえば、ワンピースなどのしっかりした服装が多いと思うのですが、その時の小田急のエレベーターガールは、とてもカジュアル。
他のデパートにない、フレッシュさを感じました。
エレベーターガール制服 イメージ
1995年の実際の夏服
それもそのはず、当時の小田急百貨店のキャッチコピーは「百店」
この「百店」というワード。覚えている方、いらっしゃいますでしょうか?
当時の、ポスターや折込のキャッチコピーも「百店」というワードを使っていたようです。
92年は「この楽しさは 百店。」
93年は「花族になろう 楽しいのは、百店です。」
94年は「にこやか百店」といった感じです。
これは、小田急百貨店創立30周年という事で、「未来に向かって花開く」という意味が込められていたそうです。
中学生の私は、この素晴らしいセンスのキャッチコピーに、胸がときめいたものです。
ポスターイメージ
1992年当時のポスター
後に、高校を卒業し、放送作家になるために上京。
当時、明大前の専門学校に通っていた私は、学校が終わり、その足で新宿へ行き、小田急百貨店を訪れ、10階へ行く直行エレベーターに乗りました。
当時10階にあった三省堂書店で本を買ったり、失礼ながら立ち読みをするのが日課でした。
<ストーリーストーリー>
<ストーリーストーリー>店内
かつて三省堂があった場所は、現在はおしゃれなブック&カフェになっています。
高層階を「マンハッタンヒルズ」という名称にするセンスにもときめきました。
もともとは高層階の事を「スカイタウン」と呼んでいたそうですが、92年に「マンハッタンヒルズ」へと名称を変更したようです。
由来は、「新宿マンハッタンと呼ばれる、新宿西口の超高層ビル群の眺望が楽しめる小高い場所」という意味なのだとか。
ちなみに、この眺望を楽しめる場所は現在も12階にあるので、ぜひ訪れてみてください。
12階
本館12階からの景色、ぜひご覧ください!
話はそれましたが、その後も何度も訪れた小田急百貨店。放送作家をするようになり、丸ノ内線中野坂上に住居を構えた際は、閉店間際に訪れ、デパ地下の割引を狙って弁当を買ってちょっと幸せな気分になったり…。
箱根に旅行する際は、地下で贅沢な弁当を買い、素泊まりの旅館の部屋で弁当で宴会をしたり…。
ハルクで仕事道具のパソコンや、お気に入りのシューズを買ったり…。上京してからの人生は、常に小田急百貨店と共にあったのです。
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